こんにちは! Jandals Lifeライターのjujucoです!
この記事では、私がオーストラリアでの生活を経てニュージーランドに来ることになったきっかけや、ニュージーランドに落ち着くまでの過程、これからのニュージーランド生活などを含めてお話しさせていただきます。
Jandals Life の7月9日木曜日の記事で、私がなぜニュージーランドに来たかを詳しくお話しします。
ケアンズ🇦🇺でダイビング三昧するために海外に出た私が、なぜニュージーランド🇳🇿に行きついたかなどの裏話満載です。
写真はケアンズでホストファミリーと(約15年前😅#なぜ私はニュージーランドへ https://t.co/bYO0PRQo3k pic.twitter.com/yac3ueFITx
— jujuco(juri)🇳🇿NZ公認会計士&毎日英語部部長&時々釣りガール (@haruo_nz) July 5, 2020
まずは軽く自己紹介から
私 jujucoは、北海道出身。アラフォー。ニュージーランド公認会計士です。
ニュージーランド北島のハミルトンで、パートナーのトニー(ニュージーランド出身)と愛猫のキキと暮らしています。
ハミルトンの場所はここ↓
趣味はTwitter、映画鑑賞、ネット、そして海釣り。夏はよく船から真鯛を釣っています。
初ヒサマサ君いただきました🤩#釣り #釣りガール pic.twitter.com/JDGx5ElgQF
— jujuco(juri)🇳🇿NZ公認会計士&毎日英語部部長&時々釣りガール (@haruo_nz) January 26, 2019
2011年にニュージーランドへ越してきて、ニュージーランド滞在は10年目。
10年前の今日はまだオーストラリアに住んでいた私ですが、タイトルからも察して頂ける通り、ニュージーランドに移住するとは微塵にも思っていませんでした。
約16年前に私が日本を飛び出した時へ遡ってお話しさせていただきます。
21歳の私。初海外ワーキングホリデーでオーストラリアへ
大学生の時にスキューバダイビングに出会い、サンゴ礁と熱帯魚に憧れを抱き始めます。
せっかく編入した四年制大学を中退した後、日本を出たのは21歳の時。
初めての海外でしたがワーキングホリデービザで、オーストラリアのケアンズに1人で渡りました。
この頃、ニュージーランドは眼中(古い?)にも入っていませんでしたし、実は私の中では存在すら危うかったです。(地理は苦手です(汗))
ワーキングホリデービザだったので1年間の予定のオーストラリア滞在でしたが、やはり数カ月暮らしているうちに居心地がよくなり「日本には帰りたくないぞ!」と思うようになります。
運良く、現地の日系旅行会社に就職してビジネスビザ(ニュージーランドのワークビザにようなビザ)を出してもらいツアーガイドとして働くことに。
その頃、同じくビジネスビザで別の職場で働いていた日本人の彼氏のおかげもあり、ケアンズに滞在していた約4年半の間にオーストラリアの永住権を取得しました。(本当に運が良かったです)
その後、ケアンズの観光業が大打撃を受ける出来事(JetStarの日本路線就航)があり、彼は無職に。私達はケアンズよりももっと都会のブリスベンに引っ越しました。
彼は日本食料理のシェフで、ケアンズから引っ越す前に仕事を見つけていましたが、私は無職。
旅行業ではなく違う分野の職を探していたのですが、なかなか見つからず、結局彼の働く日本食レストランの別の支店で働くことに。
その彼とは婚約していたのですが、住む環境や周りの人々が変わると価値観も変わります。ブリスベンに引っ越して数カ月で彼とは破局。
20代半ば、新しい街で新しい生活
新しく越してきた街なので、職場の人以外の知り合いはほぼなし。運よく職場の人たちに恵まれフラットメイトにもなる仲に。
彼と別れた後は少し落ち込みましたが、数年ぶりにシングルになり新しい街でも交友関係を広げていきました。
彼と別れた後しばらくは同じレストランで働いていたのですが(彼のせいで辞めるなんて癪だし)、数か月後に日本人のお客様を対象としたコンピューターのテクニカルサポートのコールセンターに就職。
当時の私のスペックは、日本の最終学歴である短期大学卒。英語は少しなら仕事で使えるレベル。職歴と言える職歴はケアンズでのツアーガイド、旅行代理店勤務のみ。(日本での就職経験なし)
そんな私でも、このコールセンターの仕事は日本語を使う仕事にしては良いお給料をもらえる職場で、1年程は大きな不満もなく働いていました。
しかし、ある時から
『英語圏に住んでいるにも関わらず、私はこれからも日本語を使う仕事しかできないのではないだろうか』
と思い始めたのです。
実際にそれまでオーストラリアでしてきた仕事は主に日本語を使う仕事でした。(日本語を使う仕事が悪いと言っているわけではありませんので誤解されぬよう)
ブリスベンで新しく出会った人たちには、オーストラリアで会計士をしている日本人や、企業で活躍するオーストラリア人などがいました。
『この人たち、仕事楽しそうだし気持ちにも金銭的にも余裕を感じるな』
そんな彼らと自分自身を比べて、あることに気が付きました。
『私には現地の資格がない!』
高い英語力はもちろんのこと、オーストラリアでそれなりの仕事に就くには現地の資格が必要だということに気が付いたのです。
資格を取るために大学に行きたい!しかし、大学に行くためのお金がない!!オーストラリアは生活費が高いのでお金が貯まらない!
そこで、私は学費を貯めるために日本に帰ると決意。上司には辞職すると報告。日本に帰ってから住む場所などを探していました。
トニーとの出会い
ちょうど同じ時期にFacebookのアカウントに知らない人(オーストラリア人っぽい人)から友達申請が来ていて、それを1週間ほど放置していました。
しかし、上司に辞めることを告げた日の夜、ふと思い立ってその友達申請を許可したのです。
許可した途端、オンラインでチャットが始まり、話しているうちになぜかその次の日に会おうという話に。
もちろんオンラインで知り合った知らない人と実際に会うなんて初めてだし、抵抗がありました。でも、街中で会えば大丈夫だろうと思いご飯を食べに行くことに。(良い子はマネしないでね)
実際には、彼はオーストラリア人ではなくニュージーランド人。会ってみると気さくで明るくとてもいい人で、話が弾みました。
しかし彼に「実はもう日本に帰るんだ」と伝えると、悲しそうな表情。
数日後にまた会い、きちんとお付き合いすることに。(展開早くね?)
そうです。
そのオンラインで知り合った人というのが、今のパートナーであるトニーです。
ちなみに、私のトニーに対する第一印象については以前Tweetしています(笑)↓
pretentious =「見栄っ張りな」(形)
「うぬぼれている」という意味もあるようですが「見栄っ張りな」という意味で使われているのをよく聞きます。
例文
My first impression of Tony was "pretentious".
「私のトニーに対する第一印象は『見栄っ張り』だった。」— jujuco(juri)🇳🇿NZ公認会計士&毎日英語部部長&時々釣りガール (@haruo_nz) January 19, 2019
しかし、トニーと付き合い始めて約1か月後にある事件が起こります。
当時、トニーはある会社の支店長をしていたのですが、口頭で雇用契約を延長すると言われていたにも関わらず、契約が終わった日に「はい、さようならー」となり、職を失ってしまったのです。
急に無職になったトニー。しばらくはオーストラリアで職を探していましたが、2010年あたりは不景気の影響もあり数カ月間求職中でした。
生活費を抑えるために、トニーはニュージーランドに戻ることを決断。
私は「辞める」と言ったにも関わらず続けて雇ってくれたコールセンターで働いていたので、オーストラリアに残ることに。
オーストラリアとニュージーランドで遠距離恋愛が始まりました。
オーストラリアからニュージーランドに移住
数カ月の遠距離恋愛の間、ニュージーランドへ数回訪問。
初めて訪れたニュージーランドは「北海道みたいだなー」という印象でした。ブリスベンは近代的な雰囲気だったのでかなりのギャップです。
オーストラリアの永住権保持者はニュージーランドのビザなしに働くことができたので、短期の旅行の間にとりあえずの就職先をオークランドで見つけ、私もニュージーランドに引っ越すことに。
私はオークランドで働き、トニーはまだ無職でハミルトンの友達の家に住んでいたため、ニュージーランドに引っ越してきたのにまだプチ遠距離恋愛。
その数か月後、私もハミルトンに引っ越し、また2人の生活にやっと戻ることができました。実は私がハミルトンに引っ越してすぐの頃はまだトニーは無職でした。
トニーも私もハミルトンで仕事を見つけ、ニュージーランドの生活も少し落ち着いたので、会計学の勉強をするためにハミルトンのポリテクニック(専門学校)に通い始めます。(スポンサーはトニー。感謝しています)
そのポリテクニックでITサポートのバイトをしながら勉強し、2年半程で学士課程を修了。
卒業後、会計士の仕事がなかなか見つからず、実はこの頃オーストラリアに帰ろうかと考えていたのですが、約1年後に今の職場に就職が決まりました。
会計士の仕事が見つかってからは、ニュージーランドの公認会計士プログラムを開始し、その3年後に公認会計士の資格を取得。
最初は数年だけの予定だったニュージーランド滞在が、なんだかんだでもう10年目になります。
オーストラリアには6年半住んでいたため、ニュージーランドの生活の方が長くなってしまいました。
ニュージーランドに来て数年程は色々と大変なこともあり、正直、オーストラリアに戻ることを何度も考えていました。(今でもブリスベンは大好きな街です)
しかし、もうオーストラリアの永住権もなくなってしまったのと、目標にしていた公認会計士にもなれたので、今はニュージーランドに骨をうずめるつもりでいます。(あと、トニーとキキもいるしね)
これからの私のニュージーランドライフ
公認会計士の資格を取ったこともあり、私の本職はとても安定しています。
しかし、ニュージーランドに住んでいる他の人々と同じ労働市場で競っているのでネイティヴスピーカー並みの英語力は必須です。
自分の英語力をもっと伸ばすため、また、英語を学習されている方々を手助けすることができるくらのレベルに達するため、日々勉強を続けています。
私自身がもっと実力や知識を身に付けることにより、たくさんの人々の目標や夢を叶えるための手助けができる存在になりたいです。
私はそんな願いを Jandals Life に込めて、これからみんなで育てていきます。
というわけで、長くなりましたが私がニュージーランドに来たきっかけについてお話ししました。
Jandals Lifeでは、あなたがニュージーランドに来たきっかけを募集しています!
投稿はハッシュタグ「#なぜ私はニュージーランドへ」をつけてツイートしてください。
お寄せいただいた内容は、後日まとめ記事に掲載させていただく場合があります。