今からおよそ4年半前の2016年、2月某日。
ニュージーランドでの初出勤を終えてオフィスを出た僕は、実に清々しい気持ちで空を見上げていました。
「……そうか、ほんとうに5時に帰っていいんだ……」
ずっと夢見ていた生活が、この国にあったのです。
僕がどんな道のりを経てニュージーランドまでたどり着いたのか。
話はさらに8年前、2008年までさかのぼります。
まずは軽く自己紹介から
いきなりエモい書き出しで失礼しました。
遅ればせながら自己紹介をさせてください。
わたくし、はっしー(@hassy_nz)と申します。
ただいま35歳、ニュージーランド南島の最大都市・クライストチャーチで、プログラマとして働いています。
およそ200人の社員を抱える市内でも有数の大企業に勤めており、数少ない日本人社員のひとりです。
……と、ここまで聞くと「あ〜、昔から海外で働くことに興味があった人なのね〜」と感じる方がいるかもしれません。
しかし実際はまったく異なります。
以前は「別に一生日本から出なくてもいい」と公言するほど海外に興味がなく、そもそも25歳までパスポートを持ったことすらありませんでした。
そんな超国内志向だった僕が、どうしてまたニュージーランドで働くことになったのか。
あらためて、時計の針を2008年まで巻き戻しましょう。
当時の僕はピカピカの新卒社会人でした。
長年の社畜生活が、僕を海外へといざなった
某国立大学の文学部を卒業後、僕は都内にあるIT企業に就職しました。
大学4年間をサークル活動についやし、特にスキルを身につけることもなく就活市場に放り出されてしまった僕は、「文系でもエンジニアになれるよ!」という摩訶不思議な言葉に心ひかれ、うっかりIT業界へと足を踏み入れることとなったのです。
プログラミングなど全くやったこともありませんでしたが、新入社員研修中にしっかりとIT系の国家資格に合格。
システム開発の楽しさも少しずつわかってきて、週末には大型書店で分厚い技術書を買い、自主的に勉強するほどのめり込みました。
「ITって楽しいなぁ、自分にも向いてるし、ずっと続けていけそうだな〜」
入社から半年、仕事にたしかな手応えを感じ始めたときのことです。
いきなり月100時間の残業生活へ
僕は、当時始まったばかりの新規プロジェクトに配属されました。
このプロジェクトが、配属されたときにはスケジュールが大幅に遅れに遅れ、昼も夜もなくメンバーが働きづめになっているという、いわゆる炎上状態にあったのです。
朝の9時に出社し、そのまま夜の11時半まで仕事。
終電で家に帰るとすでに午前1時。
夜食を食べて寝て、朝の7時半には満員電車で出勤する……
そんな日々が何ヶ月も、何年も続きました。
月の残業時間は、ときに100時間を突破。
ピーク時には200時間近い残業をしたこともあります。
今考えるととんでもない職場ですが、「ワークライフバランス」「働き方改革」なんて言葉は当時の世の中にはありません。
IT業界は体力勝負、残業なんて当たり前という空気が普通だったんです。
最初は若さなりのタフさで残業をこなしていた僕ですが、次第に体と心に変調をきたしていきます。
夜の帰り道、車道にぼーっと立って「いま車に轢かれたら死ねるかな」と考えてみたり。
駅の駐輪場に並んでいる自転車を見て、片っ端からなぎ倒したくなる衝動に駆られたり。
仕事中どうしても机に向かっていられなくなり、トイレの個室にこもって声を殺して泣いたり。
そして、ある日の仕事中のこと。
僕は財布だけ持ってオフィスを出て、実家に帰り、そのまま戻ってきませんでした。
いわゆる「飛んだ」というやつです。
普通だったらそのままクビになってもおかしくないですが、勤めていたのが大手企業だったこともあってか、会社側も異常な激務を放置していた責任を認めてくれ、2週間の休職となりました。
海外のIT業界には残業がない!?
会社を休んでいる間、僕の頭の中では「ITの仕事を続けるかどうか」でずっと迷いがありました。
ITの仕事そのものは大好きなので続けたい。
でもこんな残業だらけの生活はもう無理だ。
そんな中で思い出したのが、かつて読んだ「海外ニートのブログ」という有名ブログでした。(※現在は閉鎖)
管理人の”海外ニート”さんは、オーストラリアでウェブデザインの仕事をしている方。
そのブログには、海外のIT業界では毎日定時で帰るのが当たり前で、なんなら1年に1ヶ月のバカンスも取れるという衝撃の内容が書かれていたのです。
海外のホワイト企業勤務という立場から、当時の日本の労働環境をめった切りにしていく内容に心奪われ、貪るようにブログを読んだのを覚えています。
IT業界で働きながら残業から解放されるには、海外に出るしかないのではないか?
そんな思いが首をもたげてきたのはこの頃でした。
悩みながらも、30代を目前にしてニュージーランドへ
元の職場に復帰してからも、プライベートでは海外のIT業界で働く方法を探し続けました。
ITの仕事をしていながら大学は文学部しか出ていないのがコンプレックスだったので、まずは大学でITを学び直し、そこから現地での転職をしようと考えたのです。
ITがしっかり勉強でき、就職が現実的で、かつ残業が少ない国はどこなのか……
と、限られた予算とにらめっこしながら探していく中で出会ったのがニュージーランドでした。
ニュージーランドなんて、オーストラリアの隣りにあって羊が多いんでしょ〜くらいのイメージしかありませんでしたが、調べてみると
- 大学はすべて国立で、教育の質が高い
- オーストラリアよりも安く留学できる
- ITエンジニアの待遇は非常によく、永住権も取りやすい
- 残業は少なく、バカンスもある
と、好条件が次々と見つかったのです。
これはニュージーランドに行くしかないのでは……!
社会人1年目にTOEICを受けて以来放置していた英語の勉強を再開し、28歳のときに留学条件をクリア。
ニュージーランドの大学に入学願書が受け付けられたのを機に、ついに会社を辞めることにしたのでした。
アラサー大学生から地獄の就活へ
(すでに文字数が2500字を超えてしまっているので、ここからは駆け足でお送りします)
2014年の5月、いよいよ僕のニュージーランド生活が始まりました。
クライストチャーチ郊外にある「リンカーン大学」という大学のITコースに入学。
一年かけてコンピュータサイエンスを学び直しました。
30代目前にして、若い人たちに混じって勉強するのは緊張もありましたが、とても楽しい日々を送れましたね。
友達もたくさんできて、充実した時間でした。
卒業後はクライストチャーチ市内で就職活動を開始。
日本で働いていた経験もあり、ITの学位も取ったし、プライベートでもスマホアプリを開発したりしていたので仕事には困らないだろうと思っていたのですが……
これがぜんっぜんうまくいかない。
合計で100社以上に応募しましたが、そのほとんどで書類審査落ち。
半年ほどかけてようやく最終面接にたどり着いたものの、結果も教えてもらえずに連絡が途絶えるなんて目にもあいました。
ある日、鬱っぽくなっている僕を見かねた友人の紹介で、彼の働いているIT企業の選考を受けることに。
朝から数学のペーパーテストを受けさせられたり、一日で3回面接があったりとかなり大変でしたが、なんとか突破して内定を得ることができました。
今でもその友人には足を向けて寝られないですね。
そして迎えた初出勤の日。
仕事を終えて夕方5時にオフィスビルを出た僕は、ついに自分が「残業ゼロのITエンジニア」になったことを知ったのです。
日本で働いていたときに比べると、残業は全然ないし給与は高いし、30連休のバカンスを取ることもできました。
ほんとうにこんな労働環境があったんだな、と驚くばかりです。
永住権とその先へ
その後もいまの会社でプログラマの仕事を続け、無事にニュージーランドの永住権も取得しました。
日本を離れたときに抱いていた「残業ゼロのITエンジニアになる」という目標を叶えてしまったので、これからどんな道を歩んでいくべきか正直なところ迷いもありますが笑
まだしばらくはニュージーランドの優しさと雄大さに触れながら、今後の人生を見定めていきたいと考える今日このごろであります。
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