みなさんはじめまして、Mayumiです。
7月にJandals Life編集部の5人が「なぜ私はニュージーランドへ」 と題し、それぞれが辿ったニュージーランドへの道が話題となりました。
#なぜ私はニュージーランドへ のハッシュタグの元、ニュージーランドTwitter界でもツイートが集まり私も参加させてもらったのがこちら⇩
🇦🇺ワーホリ後、日本社会にまだ戻りたくなくて次の国を模索。
しかしVISA申請可能期間残り3ヶ月しかなく🇬🇧や🇨🇦の抽選を待つのはリスキーすぎる‼️と思い手取り早く🇳🇿へ。31歳半年からの超ギリホリ♪
つまり消去法😅#なぜ私はニュージーランドへ
海外🇦🇺に出た理由はコレ↓ https://t.co/YQl39hqVZm
— mayumi🐑🐑障害者支援とピアス作り 二足の草鞋を履く人 (@mayumi_auckland) July 5, 2020
ツイート140文字では書ききれなかった、どうして私が30歳を超えてワーキングホリデーでニュージーランドへやって来たのか。
今はコロナの影響で留学やワーホリの中止や延期を余儀なくされている人が多いようで、もしかするとこの記事に共感してくれる方の中にも、泣く泣くギリホリを諦めなければならない人もいらっしゃるかもしれません。
それでも海外に来てよかったことを含めて私が辿った道をお伝えしたいと思い、書くことにしました。
私の「なぜ私はニュージーランドへ」のキーワードはズバリ!「アラサー」「ギリホリ」「自分の人生」。
それまで海外移住なんて考えた事もなかった、何の変哲もない毎日を送っていた私に起こった出来事を綴ります。
アラサーになって感じた「私の人生負け組なのか?」
まず初めに私がどうして海外にいこうと思ったのかをお話したいと思います。
私が海外に行く事になった大きなきっかけのひとつが、おそらく多くの女性が20代で経験しているであろう、結婚・出産ラッシュ。
私にそれが訪れたのは、25歳の頃から。多くの友人が結婚し相次いでお母さんになっていきました。
なんだか自分ひとり取り残されていく感覚。。。ひとりだけな訳がないのに、乗り遅れてる感は日に日に増してゆくばかり。
誰かの奥さんや誰かのお母さんになった友人も私にとっては変わらず友人なのに遠い存在に変わっていきました。
今でこそ結婚してようがしていまいがお互いの人生を尊重できない関係は友人関係ではないと思っているのですが、その頃親友だと思っていた人からちょっとした会話の中で「結婚したことないからわからない」「旦那と彼氏は違う」みたいな事を言われたんですよね。
加えて「いつも旅行行けていいよね」なんて言われて。
結婚も出産もしてないからわからないし、旦那と彼氏がどう違うかもわかりません。旅行に行くために毎日働いてるし、別に好きで独身してる訳ではないのになぁと思っていました。
結婚してない、子どもがいない私を下に見てるとしか思えないことを親友から言われた時に、ショックよりも違和感を覚えたのです。
もちろん結婚して子どもを産んで今までと180°違う生活をしている友人たちをすごいなと思っていますし、子どもがいる生活の幸せも辛さも私にはわからない。友だちの子どもの成長を一緒に喜んでも母の喜びは味わう事はできません。それはそれはきっと素晴らしい事なんだと思います。
結婚も出産も子育ても経験していないけれど、だからと言ってそれをしていない私の人生って雑草みたいに踏みにじられてもいいものなのでしょうか。みんなは本当にしたくて結婚・出産しているのか、周りがするから自分もするのかどっちなんだろうと考えた事もあります。
はやく結婚して、はやく子どもを産むことがそんなにすごい事で、20代後半を独身で過ごし仕事に趣味に生きることがそんなにダメな事なのか?という問いが自分の中にあって、「どちらの道もそれぞれが一生懸命歩いていれば、それでいい」という答えを持っていたにも関わらず自分の答えに自信が持てなかったのです。
私が持っていなくて彼女が持っていた家庭には価値があるように見え、私にはその友人が持っていなかったキャリアがあったのにそれは全く評価に値しないように思えました。
そこまでは卑屈にはなっていませんが無意識に「結婚できない私は負け組か。」と思っていたと思います。
親友に対しての苛立ちから、彼女が言った「海外旅行なんか行けない」という言葉を逆手にとり、もう彼女が一生できないだろう「海外に住む」をやろうと思ったのです。(海外に出た結果、結婚しても子どもがいても住んでいる人もたくさんいらっしゃるとわかったのですが)
負け組でもいい。私は自分で自分の人生を選ぶと心に決めたのです。
負け組だった私が海外で勝ち組に!でもそれもおかしくない?
海外に行こうと決めた時、他の国でも結婚や出産に関する常識ってあるのだろうか?結婚は30歳までにすべき?できなかったら負け組?子どもは産むべき?なんとなくそれが当たり前と思って生きてきたけれど、それは世界共通なの?という疑問が湧き、それも肌で感じて来ようと思いました。
親友との一件や、その他にも新しい出会いやタイミングが一気に揃った29歳、ついに私はオーストラリアの大地を踏むことになります。
はい、ニュージーランドではありません。
日差しがサンサンと降り注ぐあつーい街、ブリスベン。
初めて住む海外はそれはそれは刺激的で毎日が楽しかった。
語学学校に通ってできた世界各国の友人は私が今まで知らなかった価値観を教えてくれました。
ありきたりですが肌も髪も目の色も様々。母国語も年齢も歩んできた道もバラバラな人たちに囲まれ、一気に「普通」「常識」って何?と脳みそがスパークした感覚を何度も味わうことになります。
もっと自分のしたいようにしていいんだ!と感じる場面がたくさんありました。
そんな刺激たっぷりな毎日を過ごしても、身体と脳に染みついた「こういう時はこれをしちゃいけない」という周りを気にする感覚ってそう簡単にはなくならないんですよね。
今でもこの感覚はゼロにはならないし、なくすのはなかなか難しいですが、「自分はどうしたいのか」「自分は何が好きなのか」に向き合う時間がこの時にたくさんできました。
そんなオーストラリアでの生活は自分自身は日本の常識という名のしがらみから解放され(たような)、アップデートされていくような感覚があったのですが、またここで恋愛絡みの事件発生。
青い目の、背が高く、マッチョで、まぁまぁイケメンの白人彼氏ができたんです。
日本から送られてきた祝福の言葉たちは「外人さん羨ましい」「青い目の彼氏いいな」「ハーフの子どもができるね」など。
どうやら外国人の彼氏ができた私が、結婚うんぬんではなくとも勝ち組になったような言葉たちでした。
この言葉を送られた当初、実は私も有頂天になっていて気づかなかったですし、自分もまだまだ「外国人ブランド」みたいな感覚を持っていたと思いますが、あとで振り返った時にやっぱりこれを言っちゃう感覚ダメじゃないかな?って気づいたのです。
オーストラリアワーホリが終わる頃、同時に彼との関係も終わりを迎えてしまったのですが、ワーホリが終わってしまう悲しさよりも今日本に戻ったら、この1年間やってきた自分の中の常識を崩す作業が全て無駄になってしまうような気がしました。
オーストラリアでの経験を活かして、日本でも常識に囚われすぎず自分らしく生きて行けばいいのですが、それができると思える程自分は周りの同調圧力に流されないという自信はありませんでした。
「日本社会に帰りたくない」そんな思いが一番強かったのを覚えています。
超ギリホリの選択肢はニュージーランド一択
さてついにニュージーランドが出てきますよ。
完全帰国したくなかった私は、オーストラリアにいる時点で調べに調べてもう一カ国どこかに行けることがわかり、人生最後の1年間ワーホリに行く事を決めました。
候補先はオーストラリア同様ワーキングホリデー人気国イギリスかカナダそしてニュージーランド。
正直に言うと、どこもオーストラリアほど「行ってみたい!」と思ったことがない国でした。それでもそんなこと言ってられないので選ばないと!
オーストラリアを後にした時、私はもう30歳と9カ月。
ワーキングホリデーは協定国によって条件が違うものの、多くの国が30歳以下の若者を対象に発給しているビザです。
もう30歳を超えていた私がどうしてもう一カ国行けたのか、それは「ビザの申請時に30歳」という条件だったから。
残された申請期間は三カ月しかない。。。
イギリスとカナダのビザは抽選で、私にはもう落選した時に次の手を打つ時間がない。
オーストラリアから近いし、似てるんじゃないかな?
元彼キウイだし再会の可能性??(引きずってました)
よし、ニュージーランドしかない!
日本に帰国してからすぐに準備に取り掛かり、ビザを申請し、30歳11カ月で無事にビザが取れ、そこから少しだけバイトでお金を貯めて31歳と半年でオークランドに降り立ったのです。
これが私がニュージーランドに来た理由。消去法です。
今私は自分の人生を生きてると思える
ニュージーランドに来て3年以上経ちましたがすべて順風満帆かと聞かれると決してそうとは言えませんが、一番手に入れたかった「人の目を気にしない自分軸の自由」は生活の中に溢れています。
20代後半で自分の人生は負け組と感じたアラサー結婚問題。(そんなネーミングはない)
それから海外に出て本当に色んな人に出会いここまで来ました。
英語もできず、文字通り右も左もわからない事もあったし、不安や孤独、悔しさに涙した思い出は数えきれません。
それでも「周りと比べて許される範囲内」で生きるより、「私はこれが好き!」「こうしたい!」と言える今が心地よいのです。
海外に出るきっかけになった結婚に関して言えば、もうアラサーと言えなくなる歳に差し掛かったけれど、まだ結婚もしてないし、子どももいません。
これからコロナでどうなるかもわからないけれど、ニュージーランドの寛大さが生んだ「まゆみがしたいようにしたらいい」と言ってくれる人が隣にいてやりたいようにさせてくれるのでこれほど幸せな事はないのではないかと思うのです。
人生は選択。
選択は時に難しく悩みも絶えないけれど、自分の勝手な思い込みで選択肢を狭めてしまわないように生きていきたいなと思っています。
消去法で流れ着いたニュージーランドで、色んな人生があっていい、と自分の人生を肯定できていることが一番の収穫です。
以上、私の「なぜ私はニュージーランドへ」でした。